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松本 剛(まつもと ごう、1993年8月11日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手)。 == 経歴 == === プロ入り前 === 埼玉県川口市出身〔ハムドラ2松本 遊撃一本で金子誠超えだ 日刊スポーツ 2011年11月2日紙面から〕。青木北小学校1年生の時に「青北サンクス」で野球を始め、青木中学校時代は硬式野球の「川口シニア」でプレーし〔、世界大会で準優勝した経験がある一方〔【日本ハム】ドラ2松本が地元川口市訪問 日刊スポーツ 2011年12月16日掲載〕、中学では陸上部に所属し〔、400メートル走では埼玉県優勝の経験がある〔【日本ハム2位】松本剛 肉体改造で通算33本塁打 それでも「僕は中距離打者」 スポニチ Sponichi Annex 2011年10月27日掲載〕。 帝京高校では1年生の春にベンチ入り〔。その年の夏の甲子園・全国大会では全3試合に8番または9番・遊撃手で先発出場し、計10打数2安打2盗塁、打率.200だった〔第91回高校野球選手権 8月16日第2試合結果 、8月19日第4試合結果 、8月22日第1試合結果 スポニチ Sponichi Annex〕。2年生時の春の選抜大会では全3試合に6番または7番・遊撃手で先発出場し、計12打数4安打1盗塁、打率.333だった〔第82回選抜高校野球 3月26日第2試合結果 、3月30日第1試合結果 、3月31日第3試合結果 スポニチ Sponichi Annex〕。秋の大会後に主将になり〔帝京・伊藤“大人の投球”/東東京大会 日刊スポーツ 2011年7月16日紙面から〕迎えた3年生時の夏の甲子園・東東京大会では27打数16安打3本塁打12打点、打率.593の成績で、チームは2年ぶり12度目の甲子園出場を果たした〔帝京・松本32号「完璧」/東東京大会 日刊スポーツ 2011年8月1日紙面から〕。全国大会では全2試合に4番・遊撃手として先発出場し、計9打数4安打1本塁打4打点1盗塁、打率.444だった〔第93回高校野球選手権 8月7日第3試合結果 、8月13日第2試合結果 スポニチ Sponichi Annex〕。花巻東との1回戦では、後にプロでチームメイトになる大谷翔平から決勝の適時打を放ち〔帝京“怪物”大谷退治/夏の甲子園 日刊スポーツ 2011年8月8日紙面から〕、八幡商業との2回戦でも先制の本塁打を放ったが、9回に逆転満塁本塁打を打たれ敗退した〔先制本塁打で殊勲、最終回に悪夢 帝京・松本剛主将 朝日新聞デジタル 2011年8月14日掲載〕。高校通算では33本塁打を放ったが、2年生までは10本塁打。冬に肉体改造を行い、3年生時の1年間で23本放った〔。 2011年10月27日に行われたプロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに2巡目で指名され〔「2011年 新人選手選択会議」交渉権獲得選手のお知らせ 北海道日本ハムファイターズ 公式サイト 2011年10月27日配信〕、契約金6,000万円、年俸600万円(金額は推定)で合意し〔ハム2位松本、栗山監督のエールに応える 日刊スポーツ 2011年11月20日紙面から〕、入団。背番号は12に決まった〔2011年新入団選手発表 北海道日本ハムファイターズ 公式サイト 2011年12月3日配信〕。高校での同級生でチームメイトだった伊藤拓郎は横浜ベイスターズから9位指名を受け、入団した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松本剛 (野球)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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